ニートになってから、数え切れないぐらいの朝がきて、夜がきました。

 正直、することがないので、一日一日の感覚がほとんどありません。
 ご飯も食べたり食べなかったりで、何もかもどうでもいい気がしたので、テレビとか雑誌も見なくなりました。

 あ、天井だけは毎日見てます。

 なんか、ずっと天井見てたりすることもあります。

 母さんは、「天井を見続けていると、そのうち天井になるよ」と言いましたが、それはいくらなんでも意味が分かりません。


 そんなかんじで、俺、小島浩之は自分の部屋で天井を眺めていました。
 時刻は、ちょうどお昼でしょうか。
 近くに公園があるのですが、そこから子どもの笑い声が聞こえてきて、なんだか自分が責められているようです。
 死にたい病がまたじわじわしだしてきたので、俺は、ベッドに横になりました。
 ベッドから、天井を眺めます。
 ちょうど、まっすぐ見上げた位置に、兎みたいな変な生き物の木目が見えて、ああ兎だぁとつぶやいてみました。
 耳の短い兎って、兎じゃないような気がしたのですが、何故だか、兎に見えたので。病んでるってことですね。分かります。

 ところで、俺は、ぶっとい黒縁眼鏡をかけています。
 人間としてどうかって思うところにきて、視力も悪いんです。もうどうしようもないですね。本当どうしようもない。

 ああ、死にたいなあ。

 そう思いながら、レンズ越しに、天井を見上げていたら、突然、

 バターーン!

 自室の扉が乱暴に開きました。
 俺はベッドに横になったまま、扉のほうを見ました。
 狭い自室です。
 頭をちょっと動かせば、扉を見ることは簡単です。
 俺、小島浩之は、枕に頭を押し付けたまま、扉を見ました。
 そこには、二メーターは越すんじゃないかなという、大男が立っていました。
 硬そうな短髪に、浅黒い肌、意志の強そうな太い眉。年齢は、母さんと同じぐらいに見えます。

 ……ようするに、おっさんです。

 見た目でいうと、チョイ悪オヤジとかいう単語が似合いそうです。
 チョイ悪オヤジは、俺を一目見て、「美人やなあ」と言って、ガハハと笑いました。
 本当に、ガハハ、という笑い方でした。
 「あー、あかんあかん。窓あけなあかんわ」
 チョイ悪オヤジは、ベッドで寝ている俺のことなどお構いなしに、ずかずかと部屋に入ってきて、窓を開けました。
 さあっと、日の光がさして、風が吹き込んできました。
 なんか、風のにおいをかいだ気がしました。たぶん、気のせいでしょうけど。

 窓を開けたおかげで、外の声がよく聞こえてきます。
 公園で遊ぶ子どもの声が、ニートの俺を死ね死ねと罵ってきます。

 死ねなくて本当すみません。

 死ねないのでつらいです。

 俺は苦しいので、チョイ悪オヤジに頼みました。
「あの、窓閉めてくれませんか」
「断る」
「死にたくなるので、お願いします」
「死にたくなったら、俺がとめてやるから問題ないわ」
 話が通じません。
 しかも、今気づきましたが、このおっさん、イントネーションがちょっと違います。
 どうも、関西の人のようです。
 関西の人には大変失礼ですけれど、なんだか無神経な響きがするので、関西弁はあまり好きではありません。
 むしろ、俺は嫌いです。

 あと、おっさんも嫌いです。

「浩之やったっけ? 静江さんからよう聞いとる。写真も見てもろとったけど、ホンマ、別嬪やなあー」
 静江というのは、俺の母さんの名前です。
 別嬪がどうとかはこの際置いておいて、どうもこのおっさんは母さんの知り合いのようです。
 おっさんは、俺の枕元にきて、マジマジと顔を覗き込むまねをします。

 正直言って、不快です。

 なんでこんな不躾なおっさんに、好き勝手言われなければならないのでしょうか。
 これもみんな、俺がニートで底辺ゴミクズだからでしょうか。
 おっさんは、何が楽しいのか、にこにこしています。
 バカじゃないでしょうか。
 そもそも、何の用事で、俺みたいな社会のゴミの顔を見にきたのでしょうか。
 やっぱりバカじゃないでしょうか。

 ぽんぽん。
 なでなで。

 おっさんは、いきなり、俺の頭をなでました。
 俺は驚いて、おっさんを見ました。

 なでこなでこ

 おっさんは頭をなでるのをやめません。


「俺は土屋藤次や。よろしくなあ、別嬪さん」


 あんまりにこにこしておっさんが言うので、俺はなんか、死にたくなりました。
 俺が底辺のゴミためにいるようなクズなので、明るいものを見るのが嫌なんです。
 なんか、死ねよって言われてるみたいで、うるさいよ早く死ぬからっていう反論をしなくちゃならないので。

 ※ ※ ※

 おっさんは、名乗ったとおり、土屋藤次といいました。
 母さんがあとで説明してくれたのですが、あのおっさn……土屋さんは、母さんの職場の上司で、とてもよい人なのだそうです。
 母さんは俺のことを土屋さんに相談していて、それで土屋さんは俺の顔を見に来てくれたということらしいです。
 母さんは、俺には隠してはいますが、実はちょっと、俺に父さんがいないから、俺が駄目人間になったのではないのかと思っているのです。
 実際はそんなこと全然関係なく、俺は駄目人間なのですが、そう思っている母さんは土屋さんに相談したのでしょう。
 ひょっとしたら、将来的に、土屋さんが俺の新しい父さんになるのかもしれません。
 こんなゴミニートの息子がいる時点で、母さんの不利は目に見えています。本当、俺なんて死ねばいいのに。

 土屋さんと初めて顔を合わせたあのあと、俺はむかついたので、自室の窓を開かないように粘土で細工しました。

 むかついていたので、うっかり死にたい気持ちを忘れていました。

 でも、久しぶりに何かしようと思って何かした気がします。
 粘土をこねていたら、黒縁眼鏡の鼻あての部分がちょっと曲がっていることに気がついたので、ペンチで直そうとしたら、バキッと音がして鼻あてが取れてしまいました。


 死にたい。







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