※ ※ ※

 俺の死ぬ死ぬ計画は、そう簡単にいきませんでした。

 リビングには、テーブルにつっぷして酔いつぶれている土屋さんがいます。
 よりによって、土屋さん、酔いつぶれて寝てしまいました。
 まさか、缶ビール二本で酔いつぶれるとは。あんなに酒飲みくさい顔をしているのに。悪い冗談にしか思えません。

 ああ、俺、今、すごく死にたいんですけど。

 俺だって、最初から諦めモードだったわけではありません。
 一度は台所に行って、土屋さんが使った包丁を手に取ってみました。いざ自分を刺そうとしてみたら、偶然、リビングで酔っぱらって寝ている土屋さんの姿が見えて、なんだか刺すに刺せなくなったんです。
 目を覚ましたら同じ部屋で男が死んでましたとか、夢見が悪くなるレベルじゃないですよね。別に土屋さんの枕元に立つ気は全然ないんですが。まあ、それで、今すぐに死ぬのは諦めました。
 対面型キッチンな我が家のキッチンを恨みます。

 ああ、早く起きて帰ってくれないかな、この酔っぱらい。
 このあとの予定がめちゃくちゃで正直困るし……
 ……何より、このまま爆睡コースだったら、どうすればいいんだろう。

 ため息が出ました。
 手持ちぶさたで、リビングの自分の席に改めて座ります。テーブルを挟んで真ん前の席には、高いびきの土屋さん。
 俺は頬杖ついて、土屋さんを眺めました。
 何だって、俺は自分の家で、死にたい気持ちになりながら、気持ちよさそうに寝てるおっさんの寝顔を眺めているんでしょう。

 …………。

 あ、土屋さん、ちょっと髪の毛茶色い。

 染めてるのかな。


 おっさんのくせに。


 そのわりには白髪とかあるけど。


 きっと、奥さんに、老けて見えるから白髪染めしてとか、そんなところで嫌々染めたに違いありません。だって、土屋さんがオシャレに気を使ってるなんて、天地がひっくり返ってもなさそうですし。といか、オシャレに気を使ってたら、こんなとこでアホ面下げてグースカ寝てたまるかって感じですよね。まったく。

 俺は、自分の髪に触ってみました。
 傷んだ髪。
 伸び放題に伸びて、ぼさぼさです。クシ通したのは数ヶ月前じゃないでしょうか。……さすがに風呂は入ってますけど、洗いざらしなんで、枝毛の独壇場です。

 ふと、思い立って、俺は席を立ちました。
 リビング内には、家用の電話があります。その電話の前には大きな鏡を置いています。身だしなみをチェックするために置いてある鏡です。
 俺は、鏡を覗き込みました。

 数日振りに見る自分の顔です。


 ひどい顔でした。


 ろくに髪を切りに行かないせいでナチュラルに伸びた髪の毛は、ワイルドというかどちらかというと捨てられてしょぼくれてる犬みたいです。あの、アルパスの山で無限に伸びてるブランコに乗る少女が出てくるアニメに出てくる犬みたいな。あの犬はわりとでかくて貫禄がありましたが、俺の場合はやせこけた死蝋みたいで、すごくみっともないです。みっともないっていうか、なんで生きてんの?っていうぐらい不気味です。

 そう、不気味なんです。

 頬はこけてるし、きもちわるいぐらいに痩せてるし。前髪が伸び放題で目元が分かりづらくなっているのに、そこにきて、ぶっとい黒縁眼鏡なんかかけてるから。マジで、不気味な死体です。お化け屋敷の洋館バージョンで普通に出演してもおかしくないぐらい。
 俺、死んだほうがお化けとしてもてはやされるんじゃないでしょうか。

 首にかかっている髪をめくってみると、傷跡が出てきます。
 これは、少し前に死のうと思って切った跡です。自分では首が見えないのが思った以上に怖くて、結局深くは切りつけられないで終わったのでした。本当ヘタレだ。

 首の傷を見たついでに、服の袖を少し捲り上げてみました。
 手首には、切ったあとがたくさん残っています。会社を辞めてしばらくは、リスカが日課になっていたのでこの有様です。
 このおかげで、夏服が着れなくなりました。クソ熱い真夏でも長袖。後悔先に立たずって本当にあるんだと思いました。

 ぼろぼろ。
 ……ぼろぼろゾンビ。
 俺は見事なキモチワルイぼろぼろゾンビです。

 頬に手を当ててみると、鏡の中のゾンビもそうします。
 間違いなく、このぼろキモゾンビは俺です。

 まあ、一番のキモイポイントは、目が死んでるってことでしょうかね。
 スーパーとかで並んでるパックの魚の目ですよねこれ。


 なんか、悲しくなりました。


 何が面白くて、土屋さんは、俺を見て可愛いとかいうんでしょうか。
 どう考えたって、このゾンビ、可愛いっていうかマジ ゾンビですよ。
 土屋さんが人妻趣味の上にゾンビ趣味じゃないと、意味わからないレベルですよこれ。
 本当、こんなずたぼろゾンビのどこを見て、可愛いなんて言ってるんでしょう……。
 太ってる人に、太ってないよ!っていう感じの和を尊しとした結果の発言なんでしょうか。
 でもそれって、現実をすでに受け入れている人が言われたら、軽く死にたくなりますよね。今まさに俺がそう。

 ああ、本当、死ねばいいのに。こんなぼろクズゾンビ。
 半分ぐらい死んでるようなものなのに、息してるとかありえない。むしろ酸素もったいない。

 正直、鏡を見ているのがつらくなって、俺は鏡から目を伏せました。
 つまんないことをやったと思いました。
 俺は何を思って、鏡なんか覗いたんでしょう。さらに生きてるのクソって思うだけなのに。
 俺は、そっと、鏡の前から離れようとしました。
 これ以上、自分の顔を見ていると、鏡が割れてしまいそうだったので。
 すると、突然、鏡の前の電話が鳴りました。
 正直びっくりして、思わず胸に手を当てました。
 電話の液晶画面を見ると、「母さん」と出ています。

 出るの嫌だなあ。

 電話は嫌いです。
 でも、仕方ありません。
 母さんなら、今リビングで寝てるおっさんをどうすればいいのか、指示してくれるかもしれませんし。
 実に久方ぶりに、受話器をとりました。
「……はい、なんですか」
『あ、あら? ひょっとして、浩之?』
「いかにもそうですが」
 自宅に電話をしておいて、俺が出て驚くとはひどい。……いや、実はあまりひどくはありません。俺は家にいても電話をとらないことで定評がありますから。
 だから、母さんが驚くのも無理はありません。
『土屋さん、いる? 代わってほしいんだけど』
「いるにはいますけど、無理ですね」
『えっ?』
「お酒の力を借りて、夢の中にいますので」
『あら……』
 母さんから土屋さんの名前が出るということは、すでに母さんは土屋さんがここにいるということを知っているということになります。
『ご飯食べた?』
「え、あ……ああ、まあ」
 実際は食べていませんが、食べていないというと母さんがまた何かしら心配するので、俺はしれっと嘘をつきました。
『そう。土屋さんが、何か作るって言っていたのは聞いていたのよ。母さんの帰りが遅くなる理由は聞いたでしょ』
「はあ。確か女子会ですよね」
『そう、女子会なの。土屋さん、それを聞いて、あなたが家で一人でしょ、すごく心配なさって』
「それで家に来たんですか」
 ……その心配してやってきた張本人は、眠りこけてますが。缶ビール二本で。
「……それで、用件はなんですか? 帰りが遅くなるんですか」
『え、ええ……そのつもりだったんだけど。今の話聞いてたら、……母さん、帰ったほうがいい?』
「あー……」
 俺は困りました。
 それはまあ、確かに母さんが帰って来てくれると大変にありがたい話ではあります。
 でも。
「たぶん、だいじょうぶなんで、別に帰らなくていいです」
『でも……。本当に大丈夫?』
「大丈夫でしょう、たぶん。来客用の布団ってどこにあるのか教えてくれたら」
『ごめんね、浩之。できるだけ早く帰るからね』
「別にいいですよ。女子会、楽しんでください。むしろ、今日はお泊りでも全然構いませんから」
 母さんには、できるだけ楽しんできてほしいのです。
 俺みたいなクズニートが寄生しているせいで、母さんは背負わなくてもいい苦労をたくさん背負ってしまいました。だから、せめて機会があるなら、母さんも羽を伸ばしたりゆっくりしたり、楽しんだりしてほしいのです。
 母さんの気晴らしと比べたら、酔っ払いおっさんを介抱する苦労なんて、ありんこぐらいの大きさです。
 介抱っていうか、布団の上に転がしておくだけですが。
 俺は母さんから来客用の布団のありかを聞いて、電話を切りました。







サイト 次へ
作品が気に入られましたらクリックしていただけるとうれしいです→