※ ※ ※
あれから、何日経ったのか知れません。
たった数日のことのような気もしますし、数ヶ月のような気もします。
俺は生き物的には死んでいませんでしたが、人として終わってました。
ベッドで横になる動作すら億劫で、床に転がってました。
床には、いろんなものが落ちていました。
ペンや、消しゴムや、紙くず、くつした、それから何故あるのか謎な綿棒や、何も入ってないビニール袋。
俺はそれを眺めてました。
その間に寝たのかもしれませんし、寝てないのかもしれません。眠たいとか、おなかがすいたとか、そんな感覚はまったく起きませんでした。
部屋の外で、誰かが呼んでいた記憶もありますが、定かではありません。俺は、床に落ちていたペンが、消しゴムを追い掛け回していじめているのを眺めているに必死だったのです。ビニール袋は見て見ぬふりで、紙くずはペンに調子を合わせて調子のいいことばかり言っています。くつしたは、ちょっと消しゴムに同情的で、ああこいついい奴なんだな、と思いました。
……あ、ほら、消しゴムが必死になって床に積まれてた雑誌の後ろに隠れた。
誰か助けてやれよ。
かわいそうだよ。
誰も助けないのかよ。ああ、あらかじめまわりには消しゴムはチ○ポ大好き肉便器だって噂流したから、誰も助けにこないのか。
ペンのやつ、性格悪いなあ──
俺は、少しだけ手を伸ばして、床に転がっていたペンを遠くに弾き飛ばしました。
感謝しなさいよ、消しゴム。
脅威は俺が追い払ってあげましたよ。
そんな雑誌の後ろに隠れてないで、早く出てきなさいよ。
消しゴムは出てきません。
もう大丈夫だっていってんじゃん。
早く出てこいよ。
消しゴムは出てきません。
なんだよ、もう──せっかく、ペンをやっつけてやったのに。
そんな雑誌があるから、後ろに隠れるんだ。
そんな雑誌なんか、人間特権で処分してやる──
俺はイラついて、身体を起こしました。
軽く眩暈を感じましたが、無視して床に積んだ雑誌を崩してやります。
そもそも、この雑誌なんなんでしょう。邪魔なことこの上ない。生きてるだけ無駄じゃないですか。
ああ、人として終わってるクズの部屋に、クズ雑誌。面白い。なんか面白い。アハハ。
俺はハハハと笑いました。
笑いながら、雑誌を手にとりました。
なんだこれ。
なにこの雑誌。
キリキリとどこかが痛くなりました。
笑えなくなって、黙って雑誌の表紙を眺めます。
死んだ魚の目をして、俺は、人妻特集が組まれたエロ本を眺めてました。
この雑誌を置いていった人は、
この雑誌を置いていった人は、どんなふうにこの雑誌を眺めたのでしょう。
考えたくない。
考えたくない。
あの八重歯。無精ひげが生えてるくせに、男前な視線。
視線。
雑誌の表紙に載ってる女の、扇情的な視線。
あの人の視線。
あのとき握られた手のひらが痛みました。強く握って痛みを散らして、あの視線をさえぎるように雑誌から視線をそらして口元に手を当てます。
耳元に、低い深みのある声。特徴的なイントネーション。
聞こえないふりをして、眼鏡のフレームをことさら落ち着いて指であげます。
こんなのは、幻聴だ。妄想だ。聞こえない。本当に聞こえない。
──浩之
はっと息を呑みました。
手元の雑誌の女が、挑発的に微笑みます。「あの人、私で抜いたのよ」と。
どんなふうに?
どうやって?
──教えたろうか。
「あ」
あの人の声がじわじわと耳元で囁きます。
こんなのは本当は嘘だって分かっているのに、耳を塞ぐことが出来ません。
だって、
だって、
俺は
俺の手のひらが、ズボンの前に触れます。優しく落ち着かせるように、ゆっくりと撫でて。
「あ、……っん……」
首筋に、あの人の吐息。ぞくりとしました。
あのかすれた声で、俺の名前を呼んで。
雑誌の女にどんな妄想したんですか?
雑誌の女をどうやって抱いたんですか?
どうやって。どうやって。
俺の手が、下着の中に滑り込んできます。
苦しそうに硬くなっているそれを、ゆっくりと下着の外へ引き出します。
「あ……、」
俺のそれは、勃起していました。まるで、何かの悪い冗談みたいだ──汚らわしくて、浅ましくて、愚かな。
本当は嫌なのに。
本当は嫌なのに、耳元で、あの人の低くてかすれた声がせきたてるから。
触ってみろと、言う。
勃起しているそれに、指をからめ、ゆっくりとさすります。
この指は、誰の指?
「っあ、はぁっ……、ぁ……」
呼吸が追いつかない。せわしなく吸って吐いてを繰り返しながら、亀頭に指を這わせます。
そのまま、裏側にまわって、それで、玉袋、揉んで、あの人の指。
「っん、」
きっとあの人はキスもする。
きっと、たぶん、強引だけど激しくて、それでいて、
「んっぐ」
強引に、指を口に突っ込みました。唾液が指先に絡んで、四肢が震えます。
舌先がしびれて、もう我慢できない。
唾液が口の端を伝って、滑り落ちて。もう我慢できないよ。
「つ……や、さん……、」
頭を撫でるように、俺のここを撫でてよ。大きな手のひら。包み込むみたいに、きっと撫でてくれる。
もっと、
そうだ、
もっと殺して
こんなクズ、殺してよ。
「ん、ちゅ……、っちゅ……」
指を撫でる舌先すら身体の感覚をおかしくする。
俺は、棹を撫でていた手を、先のほうへずらしました。先っぽの、ぬるぬるしたところを指の腹で押しつぶしたら、無意識に口に入れた指を噛んでしまいました。
「っひ、……ひぁっ……、あ」
もっと殺して、おまえなんか生きてる価値ないって、否定してよ。
ただの盛りのついたクズだって、
──怖かったな。
「っ……!」
不意にはっきりとよみがえった声に、俺はたまらず眉を寄せました。
だって、そんな声、そんな優しい声、聞かされたら。
俺、もう、我慢なんか。
「あ、ぁ……あ……、あああ……!」
身体を痙攣させて、俺はたまっていたものを吐き出しました。
荒い呼吸を繰り返しながら、俺は急に重くなった身体をベッドの端にもたせかけました。頬が火照ってしかたありません。
呼吸を落ち着かせながら、射精の余韻に浸ります。
ふと、俺は、自分の手のひらが汚れていることに気がつきました。
さあっと快感の熱気が引いていきます。
ああ、俺は。
俺は、あの人を思いながら、こんな。こんな。
こんな……。
「……!」
急激に吐き気がこみ上げてきました。
口を押さえてもどうにもなりません。
前かがみになりながら、俺は咄嗟に床に落ちていたビニール袋を引き寄せました。
吐きました。
何もかも、吐きました。
ろくにものを食べていなかったせいか、苦い胃液だけが逆流してきます。
それでも吐きました。
キモチワルイ
キモチワルイ
俺は キモチワルイ
もうどこに行ったらいいの
涙が出てきました。
何で泣くの、クズなのに。キモチワルイ、死んじゃえよ。生きてる価値ない。
クズが盛ってゴミを吐き出した。
本当、生きてる意味ないな。クソだ。死ねばいいのに。キタナイ。キモチワルイ。
泣きました
泣きました
生きていたくないよ。死んでしまいたいよ。
でも俺、
俺、クズのくせに あの人のこと好きになってしまったんだ
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