※ ※ ※

 風呂場のタイルって、どうしてこんなに冷たいんでしょうか。
 どんな季節でも、風呂場はひんやりしている気がします。
 あ、そういえば、幽霊って、水気を好むんですよね。
 死にかけクズin風呂場。服を着たまま座り込み。
 何これ面白い。

 アハハハ
 ハハハ
 ハハハハ

 ひとしきり笑いました。
 風呂場に、うわんうわん声が響きます。

 ああ、うるさいなあ。
 そうだ、この声を黙らせるために、風呂場に来たんだっけ。

 笑っているのは誰ですか。

 俺じゃない。
 俺じゃないよ。

 チ○ポ大好き肉便器は俺じゃないよ。

 俺じゃない……

 あの人で気持ち悪いことしたのは、俺じゃない……

「っ……う……、」
 俺はお風呂場の壁にすがりました。
 涙があとからあとからあふれて、止まりません。
 俺はバカみたいに、泣いているのでした。
「……もう嫌だ……嫌だよ。嫌だよう……、死にたい……」
 お風呂場に声が響きます、嗚咽が響きます。
 それが、さらに自分のみじめさに拍車をかけるようでした。

 こんなキモチワルイ自分なんかいらない。
 吐いても吐いても、もう吐けるものがなくて。
 どうして、自分はこうなんだろう。
 どうして、自分なんか生まれてしまったんだろう。
 本当はこんなはずじゃなかったのに。俺が生まれたとき、誰もこんなクズになるなんて考えてなかったのに。
 ごめんなさい。
 本当にごめんなさい。
 キモチワルイクズでごめんなさい。許して。

 クズでゴミで価値なんかないのに、なんで、あの人のこと好きになったの。
 よりによって、汚すようなまねしたの……

 俺はもがくようにして、石鹸受けの近くに立てかけられていたかみそりを握りました。
 この手!
 この手が!

 この手がみんな汚した!

 何が肉便器じゃない、だ!
 本当はチ○ポも、精液も、無理やり尻穴に突っ込まれるのも、チ○ポを男にいじられるのも、大好きなんじゃないか。
 性質がこうだから、平気であの人を汚して悦んでられたんだ……。浅ましく、悦んだんだ……。
 俺は、かみそりを手首の骨の出たところにあてがいました。
 この出っ張ったキモチワルイ骨、そぎ落とそう。そして、いらないところを次々そぎ落としていこう。
 グ、とかみそりを持つ手に力を込めたとき、

 脱衣所のドアを乱暴に開く音がして、お風呂場のガラス戸が開きました。


 俺は目を見開きました。
 頭が真っ白になって、かみそりを持っていた手が凍りつきました。

 喜びなんかじゃありません。
 俺が感じたのは、恐怖でした。

 そこには、しばらくぶりに見る、土屋さんの姿がありました。

「……何やってんねや」

 怖い顔をして、土屋さんが俺の手からかみそりを取り上げました。
 俺は抵抗することも怖くて、素直にかみそりを手放しました。
 土屋さんは、そのかみそりを、遠くへ投げ捨てました。投げ捨てられたかみそりがどこへ行ったのか、視線を向けることすらできずに、俺はただ土屋さんの顔を見つめていました。

 見つかってしまった。
 そう感じました。
 身体のいたるところから、罪悪感が染み出してきます。
 俺は、
 この人を、
 この手で、妄想の中で。

 土屋さんが、俺の目の前にしゃがみました。
 俺は恐ろしくて、怖くて、身体をそらしました。
 どんな罵倒も、どんな悪態も、どんな否定も、土屋さんは俺に投げつける資格がある。
 ゴミクズを見る目で、死ねと言われても仕方ない。
 でも、土屋さんの口から、そんな言葉を聞くかもしれないのが、すごく怖かったのです。
 俺に向けて笑ってくれたこの顔が、嫌悪に歪むのを見たくなかったのです。
 可愛くないゾンビみたいな俺を、可愛いって言う、その口から、「死んでしまえ」と言われるのがとてもとても恐ろしかったのです。

 土屋さんは、黙って、俺の顔を見ています。
 その目は、哀しそうでした。大人の男の、哀しそうな目は何を哀しんでいるのか分かりません。
 俺のことを哀れんでいるのかもしれません。
 俺はあいまいに目をそらしました。
 何を言えばいいのか分かりませんでした。
 お風呂場は小さな音でも響くのに、何の音も響きませんでした。

 頬が、ひんやりとしました。
 泣いていたからです。
 何もかも終わったような気分になりました。
 泣いたからです。

 縮こまった俺の左手を、土屋さんがそっと引き寄せました。

「っ! ……」

 反射的に振り払おうとして、うまく振り払えませんでした。
 土屋さんの手が、思った以上に強く、俺の腕をつかんでいたので。
 袖がめくれて、老いさらばえた枯れ木みたいな生白い腕があらわになりました。
 その手首には、隠しようもない無数の傷跡がはっきりと残っています。俺が、死にたいと思った数だけの傷跡。
 いたたまれなくて、恥ずかしくて、俺は唇を噛んでうつむきました。
 そっと、土屋さんが手首の傷を撫でました。
「……っ」
 びくりと身体がこわばります。俺のその反応をほぐすみたいに、土屋さんの指の腹が、何度も手首の傷の上を撫でていきます。
 くすぐったいような、むずがゆいような、なんともいえない感覚に、知らずに呼吸が乱れます。

 嫌だ。
 嫌だ。
 ……嫌なのに。
 ……嫌なのに、喉が震えるのを抑えられない。







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