千円の代償
「アンタさ、俺怒らせて楽しい?」
低く、怒りを抑えた声。
順作はびくりと肩を震わせて、身を小さくした。
「怒らせて楽しいかって聞いてんの」
ベッドに仰向けにされて、その上に恭一が乗ってくる。
見上げた彼の顔は迫力がある。鋭い視線が容赦なく突き刺さってきて、順作は思わず顔を背けた。
「っ……」
それがいけなかった。
恭一は一度小さく息を呑み、それから乱暴に順作の両腕をつかんでベッドに押し付けた。
さすがに自分の行動がまずかったのに気がついて、順作は頭を振って彼を見た。
「ち、違、君は何か誤解を……」
「何アレ? 手首つかまれて、それうっとり眺めたりしてさ。それで晴喜晴喜って、なんなのアンタ」
「は……?」
思わずぽかんとした。
彼が何を言っているのか、よくわからなかった。
「それシラジラシイ態度っていうんだよな。何、晴喜に嬉しいことでも言われたわけ」
「え、い、いや、そうじゃ……違う! 違うぞ! 単にあれは、むぐ」
唇をキスで塞がれた。
何か言おうとしたら、唇の隙間ににゅるりと恭一の舌が入り込んできた。無意識に、眉を寄せて固く目を閉じる。
「っふ……、ん……、ん」
奪いつくすような手ひどいキスに、順作は知らずにびくびくと身体を震わせた。呼吸がうまくできない。酸欠は、目元を潤ませる。くらくらとする。
「っ……ん、っふ……、ちゅ……」
入り込んでくる、確かに自分のものとは違う舌。さぐるようなそれが、眩暈ばかりを呼んでくる。
腕を動かそうとしたが、がっちりと押さえられていて動かすことができない。
「……、嫌なの?」
かすれた声で、キスの合間に尋ねられる。
順作は荒い呼吸しかできなくて、首を横に振った。
違う、そうじゃなくて──そうじゃない──
「晴喜がどっか行ったあと、なんで……そんなにつかまれたとこ……」
恭一が甘えるように、首筋に鼻をすり寄せてくる。
普段の彼はこんなことをするような人間には見えない。ぶっきらぼうでいて、それでいて一定の距離を保って、そばにいるような安心感すら与えてくれるのに。
「……あ、」
甘えるように接触を求められると、順作は頭が混乱してしまう。
処理しきれない情報があふれてきて、たまらない気持ちになってくる。
この両手で、彼の茶色に染めて傷んだ髪に触れたい。指をからませたい。そればかりが頭の中を占領する。
「……腕、離して、くれないか……」
「無理」
「お、お願いだ……」
「無理っつってんじゃん……アンタ逃げるんだろ……」
すりすり、と体温を確かめるように首筋に頬を寄せる。熱い吐息が首筋にかかって、順作はますます追い詰められる。遠慮がちに耳たぶを舐められたとき、順作の身体が跳ねた。
「っ……!」
「普通に話してるだけなら、全然いいよ。でも何、あのあとのアンタの態度……」
「はっ……、ああ……」
ちゅ、ちゅ、と耳にキスされる。その音がやけに大きく聞こえて、順作はせつな的な気持ちになる。
「あ、あれは……、違うんだ、……細すぎると、言われて」
無意識に腕を動かして恭一に触れようとして、また自由が利かないことを思い知らされる。
「……やっぱり、腕を離してくれないか……」
「だめ」
恭一のキスは、耳を降りて、首筋を伝う。ついばむように、時々、ちろりと舐めて。そのたびに、順作の体のどこかから、ぞくぞくしたものが湧き出てくる。
たまらない。股間のあたりがうずいてうずいて仕方ない。
焦らされている、と感じるともうだめだった。これまで、自分がこんなに性欲に侵されるなんて、想像したこともなかった。恭一に触れられると、体の奥のほうが波打つようになって、とても理性的にものを考えられなくなる。そんな自分が哀れで哀れで、涙がにじむ。
「お、おねが……、お願いだから……、誤解なんだ……。あれは、細すぎると……言われて、それで……、そ」
喉がひゅっとしまる。
言うのがとても恥ずかしかった。
あの時、考えていたのは──
「……き、君が、そ……、その、私のことを、み……見苦しいと、思っていないかと……」
「見苦しい……?」
「っ……、や、痩せすぎていて、……い、いやにならないか…と……思っ……」
こうやって今は求められていても、そのうち、触り心地や抱き心地が良くないと嫌がられるようになるんじゃないかと──
「嫌ってどういうことよ」
「……、わ……私のかっ、身体は、ひ、貧相……だ。それは事実だから、だから」
言っていて、自分が情けなくなってきた。
一体、自分のどこに、恭一を満足しえる要素があるというんだ?
それに、晴喜は喋り方すら硬いと難色を示した。何もかも冴えない自分が、一体どうやって、彼に応えられると?
「私は、ど、どうしたら──、どうしたらいいんだ……」
もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。年長者として情けない。愚かだと思いながらも、順作は眉を寄せて涙をこぼした。泣いているとアピールしたくなくて、急いで顔を背ける。本当は手か腕で覆い隠したかった。
それを察したのか、恭一の手から力が抜けた。
順作は、自分の腕で目元を隠した。眼鏡が歪もうと、どうなろうと関係ない。
もうだめだ。ほんとうにもうだめだ。自分の頭は壊れてしまった。
ギシ、と頭のすぐ横がかすかに沈んだ。
ややして、遠慮がちに触れてくる彼の手──冷たいファッションリングの感触が頬に伝わってきた。