ミルク・キャンディー・イン・コーヒー
京都の、とある雑居ビルの、本当にほんの小さな、些細な、隙間みたいな狭くて急な階段を降りて行くと、時代がかったマホガニーブラウンの扉がある。つる草みたいな金のノブは、煙ったみたいに風格があって、力いっぱい引くといけない。ガラガラと病み上がりのようなドアベルが鳴るからだ。
時折風邪をこじらせたようなドアベルの音をするたびに、マスターは、珍しいことがあるな、と思うのだそうだ。なぜなら、常連客は、隙間風のように、すうっと店内に入ってくるのだという。あなたもそうでしょう、と関東のイントネーションで尋ねられて、ああそういえばそうだな、と妙に納得した。
その狭い狭い店内は、縦に長細かった。カウンター席を遠慮なく並べていたら、カウンター席のことを忘れていましたというような、計画性のないような狭い空間だ。
カウンター席の奥を陣取ってしまったら、そう簡単に外に出られなくなってしまうから、よく考えて座る席を選ぶ。マスターの横顔を眺めていたいときは、遠慮なく一番奥の席を選ぶ。マスターと話したい気分のときは、真ん中あたりの席を選ぶ。時間がないときは、渋々、入り口から一番近い席を選ぶ。
そうして、頬杖をつく。
オリジナルブレンドのカップに添えられた彼の左手には、銀色のリングがいつもある。あたたかな照明に照らされて、鈍く光っているところを見て、何故か安心する。
たぶん、おそらくたぶん、自分の薬指にも片側だけになってしまったリングがあるからだろう。
カップの湯気を前にして、背広の内ポケットからひとつ、忍ばせていた飴玉の小さな包み。まだ熱いうちに、カップの中へ。それから、スプーンでかきまわす。
「長い間の習慣は、続いてしまいますね」
「ブラック党だったんですけどね」
最初の頃は隠すようにしていたこの習慣も、今ではマスター公認だ。煙草に火をつけた客に灰皿を差し出すように、マスターは手のひらほどの花びらを模した小皿を差し出す。そこへ、自分はいつも、ミルク飴の包み紙を入れる。
亡妻の飲み方なんです、と言ったとき、マスターは、それはそれは、と懐かしそうに目を細めた。うちのはもっぱらココアでしてね、と少しうらやましそうだった。珈琲を飲んでもらいたかったのかもしれない。