※ ※ ※


 昼休み。
 昼食を済ませた神山は、何となく上機嫌だった。理由はない。あえていうのなら、今日の定食がから揚げ定食だったことが要因かもしれない。食後の一服──と思い、白衣の胸ポケットに入ったタバコの箱を手で少し触れてみる。
 近頃では嫌煙の波が学校にも押し寄せてきていて、昔みたいにどこでも喫煙することはできなくなってしまった。職員室でも禁煙になる始末だ。この学園でもそれは同様で、タバコを吸おうと思うのなら職員室の横にある喫煙室で吸わなければならない。
 喫煙室は二階にある。食堂は一階だから、階段をわざわざ昇って喫煙室を目指すという格好だ。嫌煙の波に押されて、愛煙家の肩身は狭い。タバコは公然と売られているのに、吸うところがないというのは何となく理不尽だ。まあ、これも神山がヘビースモーカーだから思うことなのかもしれないが。ただ、タバコを買うことで、国を助けているんだと偉そうに言ってやりたいこともある。
 喫煙室に入ると、すでに先客がいた。
 茶色のフィルターを噛みながら、煙をぷかぷかやってるのは、弓岡だ。弓岡も神山ほどのヘビースモーカーではないが、日にほんの少しだけやる。喫煙室で顔を合わせることも少なくない。
「神山ちゃん!」
 彼はへらへら笑いながら、手を振った。よせばいいのに、こういう仕草が外見の生真面目さをぶち壊しにしている。
「神山ちゃんも一服か〜。俺もそう。こんなところで会うなんて、う・ん・め・いかも」
「寄るな」
 わらわらと忍び寄ってくる吐き気を押し込めながら、神山はしっしっと手で弓岡を追い払った。しかし、弓岡は懲りた様子もなく、忍び寄る吐き気と同じようにわらわらと近寄ってくる。
 喫煙室はほとんど喫煙のためのスペースといっても間違いではないほどの小さな部屋で、男四人もいれば満員になってしまう。弓岡は狭い喫煙室だというのに、べたべたべたべたべたと神山になつく。
「どうよ〜? 彼は」
「……彼?」
 まとわりついてくる弓岡の手を払いながら、神山は胸ポケットの煙草を取り出した。片手で器用に煙草を一本出して口にくわえる。
「真沢秋之センセイ。ものすっごい美人サンって学園では大わらわ」
「……」
 神山は朝の会話を思い出して、げんなりとなった。淡々とした物言い、感情の起伏に乏しい受け答え、表情。確かに親しみにくい人間像ではあるが、それ以前に──あの清々しく感情のこもってない下世話な話はどうにかならないのか。淡々とした口調ではあったが、言っている内容はかなり過激だ。だが、あの口調だからこそ、まだ神山の脳みそは沸騰せずに済んだのかもしれない(一歩手前までいったが)。
「……まあ、その、……分からん……」
 神山は、苦虫を噛み潰したような顔──もとい、心持で正直な感想を述べた。彼はたぶん、悪い人間ではないだろう。元々、人を嫌うということが少ない神山にとって、彼を嫌うだけの理由はまだ見当たらない。ただ──しいて言うなら、苦手の部類に入るだろう。
 弓岡は大げさに肩をすくめた。
「神山ちゃんて、美人が嫌いなのね?」
「……は?」
「彼、まれに見る美人だよ。そんな美人と同じ職場──保健室で働けるなんて恵まれてるって。目の保養になるじゃないの」
 弓岡は新しい煙草をくわえて、ライターを出した。肩をすぼめるようにして煙草に火をつけ、神山のくわえ煙草にも火をつける。
「美人も何も、彼は男だろう。……まあ、確かにかっこいいというよりかは、きれいだとは思うがな」
 思わず見とれそうになったことは、都合が悪いことなので黙っておく。確かにきれいだった。だが、それはそれだけで、男相手に目の保養をさせようとは思わない。見るのなら、艶話の苦手な神山でも、やっぱり女の方がいい。
「……ふうん……。神山ちゃんって、絶対いけるクチだと思ってたんだけどなぁ」
「……また気味の悪いこと言うんじゃないだろうな」
「気味の悪いことって」
 弓岡は少し傷心したように笑った。
「それってつまり、俺が気味悪いってことになるじゃないの」
「うん? どういう意味だ、それは?」
 弓岡は長く紫煙を吐き出して、憂鬱そうに頭を振った。
「神山ちゃんに恋焦がれてる俺はどうなのよ」
「──おまえなぁ」
「アハハハハハ。なんて、これは冗談だけど。でも、神山ちゃんって本当、それ系の人から見たら、いける人なんじゃないかって思われるかな」
 弓岡は少し真面目な顔になって、煙草を指で挟みもった。
「分かるんだよねぇ、それ系の。俺がそうだから」
「……な、何だって?」
 俺がそう? それは、それはつまり……
「俺は男専門なのよ」
「っ!?」
 驚いて煙草を落としそうになる──慌てて持ち直して、それから引きつった笑いを顔に浮かべる。
「だから、そういう冗談」
「いや、マジ。本当だってば。俺は男にしか興味ないわけよ」
「……本当、なのか?」
 思わず声を落として尋ねると、弓岡は声を立てずに笑った。明るい笑い方ではあったが、どこか頼りのない笑い方だった。神山は、その弓岡の笑いを見て、悟る──これは、冗談でもない、嘘でもない、本当のことだと。
「ゆ、弓岡。その、お、俺は……」
 無様に上ずった声に、弓岡はからからと笑う。
「マジになんないでって。もう仕方のないことだからねぇ。神山ちゃんってば、本当鈍いよ。俺が冗談で男大好き発言してたとでも思ってたわけ?」
「そ、それは……」
「あー、大丈夫大丈夫。神山ちゃんは狙ってないから。惜しいけど、俺は突っ込むほう」
「つっこ……っ!」
 奥歯を噛み締める。変な想像をするから、すぐに赤くなるのだ。平常心を保てば、こんなもの……こんな発言。
 ……神山は深呼吸をして、煙草を吸った。落ち着いた。大丈夫だ。
「あ、それに。これも約束しとこう。俺、生徒に手を出すほど差し迫ってないし、飢えてないから。俺の専門は同いか年下……二十歳以上のね。美少年には興味ナーシ」
「……弓岡」
「もう分かってたと思ったんだけどなぁ。俺が男専なこと。やっぱ、鈍感だからかなぁ」
 やれやれ、と弓岡はため息をついた。
「……弓岡、どうしてそんな話、いきなり俺に……」
「えー? いきなりも何も……神山ちゃん、もう気がついてるもんだと思ってたしなぁー」
 気がついてない。というよりか、全く思いも寄らなかった。弓岡が、同性愛者だったなんて──
 今でこそあっけらかんとしているが、彼は彼なりに苦しかった時期もあったに違いない。でなければ、こんなに明るくは笑えないはずだ。
「……その、弓岡……」
「んー?」
「お、──俺は、おまえのことを理解するのは難しいかもしれん。……だが、信じるぞ」
「……」
 弓岡は一度うつむき、それからアハハハ、と笑ってこちらを見た。
「やっぱり神山ちゃんは、いい男だね。漢って感じ」






戻る サイト 次へ