※ ※ ※

 憂鬱な気分のまま、神山は保健室に戻ることにした。
 真沢のことが気にならないわけではなかったが、保健室をあのまま弓岡に任せているわけにもいかない。保健室にいさえすれば、真沢も必ず帰ってくるはずなのだ。
 ──なんだか、めちゃくちゃだった。
 藤木のことも。考えなければいけないことがたくさんあった。
 無人の渡り廊下を歩く。このあたりは特別教室が多く、今日の文化祭では全く使われていない。
 しばらく行くと、無人のはずの国語科準備室の扉が開いているのに気がついた。
 ──おかしい。今日は誰も使用していないはずだし、使っていない教室はきちんと施錠がなされているはずだ。
 不審に思いながら、神山はその半開きになった国語科準備室を覗き込んだ。
 埃っぽく、薄暗い室内。決して整理整頓されているとは言い難いありさまだったが、誰かいる様子はない……
「何だ、開けっ放しか……無用心だな。鍵はどこだ?」
 確か、準備室の鍵は右手の壁際に掛けることになっていたはずだ。このまま開けっ放しというのは問題がある。鍵を閉めておくのがいいだろう。神山は準備室に足を踏み入れ──
 バタン!
 背後で大きな音を立てて扉が閉まった。
「!?」
 弾かれたように振り返る。扉が閉められた? どういうことだ?
 ドアノブを回す。しかし、扉は開く様子がない。鍵を閉められたようだ。
「おい、誰か悪戯しているのか!?」
 扉を叩く。しかし、向こうからは何も帰ってこない……背後で、忍び笑いが聞こえた。
「先生、ダメですよ。僕がいいと言うまで、その扉は開きません」
 藤木が立っていた。
 それだけではない。
 藤木の両脇に、蘇洸の制服を着た生徒が二人──藤木と違って、体格は驚くほどに良かった。神山に比べればまだまだだったが、大学生だと言っても分からないぐらい背の高い生徒だ。
「ど、どういうことだ……?」
「どういうも何も。こんなところで保健体育の授業をするわけはないと思いますけど?」
 嫌な予感がした。あとずさる──しかし、扉は開かない。
 藤木は明るく笑った。いつか見た、花が咲いたような屈託のない笑い方だった。しかし、神山は背筋が凍るものを感じずに入られなかった。その目は、どう考えても真っ直ぐな性根を表してはいない──
「保健体育……実技でもいいですけどね」
 藤木の目が両隣で控える生徒に合図を送った。二人は物言わず静かに神山の両脇に近寄ると、その腕をつかんだ。
「な、おい、やめろ!」
 もがく──その前に藤木の厳しい声が飛んだ。
「先生! 無駄に抵抗すれば先生は保健医をやめざるを得なくなりますよ!」
「ふ、藤木……! おまえ、何をしてるのか分かってるのか!」
「分かってます。僕はバカではありませんから。……先生が悪いんですよ。僕以外の男に優しくするなんて」
 僕以外の男に優しくする……?
 怪訝な顔をする。何の話か分からなかった。しかし、藤木は怒りの形相で近づいてきた。
「先生? もう抵抗しようなんてことは考えないでください。別に僕は先生を傷つけたいわけではありません。僕のものになってほしいだけです」
 そっと眼鏡を取り上げられ、遠くへ投げられる。ガチャンとフレームが床に当たって音を立てる。
 藤木はにっこりと微笑んだ。怖気の走る微笑で。
 顔が近づいて、唇に唇を寄せてくる。音を立てて、キスされる。神山は唇を引き結び、応えまいと心に誓った。ここで応えてしまったら、昨日の二の舞だ。その意志が伝わったのか、藤木は苦笑した。
「意地っ張りですね。先生」
 藤木の手が白衣の襟を広げ、襟元を乱す。前開きの上着を着てきたのがまずかった。静かに、確かな手つきでボタンが一つ一つ外されていく。
「っ……」
 押さえつけられた両腕を動かそうとする──それを、藤木は笑って見る。余裕そのものの態度だった。
「先生、めったなことはしないでください。もし腕力にかまけて、抗ったら……彼らはしかるべきところに体罰教員がいると訴えに行きますよ」
「……藤木……」
「教師の不祥事が騒がれる近頃ですから、マスコミも黙ってないでしょうね」
 目の前が真っ暗になった。マスコミにかぎつけられる恐怖が、ではない。藤木の、どこまでも暗い仕打ちに目の前が真っ暗になった。まさかこんな考え方をするような子ではないと思っていた。信じていた。それなのに。
 ……藤木は、自分が思うよりもずっと、したたかで計算高かったのだ。
 裏切られた──憤りよりも、ショックのほうが強かった。
 昨日の、あの甘えるような仕草は何だったのだろう。すがるものがなくて、甘えるものがなくて、仕方なく保健医にすがっていたのではないのか。行き場のない思いを、自分にぶつけてきていたのではないのか。
 前を広げられ、あらわになった胸板に藤木の指先が降りる。
「う……っ」
 つ…とみぞおち、肋骨の合間、臍となぞられて、神山の身体が跳ねる。
 スラックスの前をくつろがされて、神山自身が頭をもたげた。軽い熱を帯びて、下着の布をゆるく持ち上げる。生理的な反応は、隠せない。
「もう苦しそうですね……昨日のことを思い出したんですか?」
「や、やめろ……! おまえはこんなこと、望んでいないんだ。本当は……!」
「いいえ? 僕は昨日の晩、先生のこと考えながらしましたよ。いつもより早くいっちゃって大変でした」
 下着をずらし、神山の怒張を引き出す。現れたそれは、空気に触れてびくびくと震えた。
「震えていますよ……まるで子どもみたいだ……」
 藤木はそれを握り締め、皮をずらすようにしごいた。
「っう……! くっ、……う!」
 熱が高められ、煽られる。しごかれる直接的な快楽に、神山は唇を噛み締めた。反応してはいけない、応えてはいけない。そう思えば思うほど、身体の熱がそこに集まって腰をうごめかす。
 屈辱に、視界が歪んだ。
 何故、自分がこんな──こんなことになってしまったのだろう。藤木は男のものを触って嫌ではないのか。
 棹先から、耐えられない先走りの透明な雫が伝う。ぐちゅ、と皮が泣いた。太いものは硬く勃起して、藤木の手に弄ばれるまま高められる。自分ではどうしようもなかった。逃れられない。辛かった。
「う、あっ……はっ……!」
「いきそうですか……?」
 熱い藤木の声。
 耳元で掠めたと思うと、神山は無理やり座らされた。その上に藤木がのしかかってくる。下半身は裸だ。以前のように──やろうとしていることは分かった。
 藤木のものも硬く反っていて、熱く震えていた。まだ若いそこは、神山と違って初々しささえ感じられた。だが藤木は慣れたように神山の上にまたがると、神山の太い怒張の上に尻を当てた。
 性急な求めに、神山は息を飲む。
「っ……ふ、藤木っ……」
「大丈夫ですよ……先生。ちゃんと、準備はしてきましたから……すぐ入ります……」
 ずぷ……
 藤木の細い腰がゆっくりと沈む。
 自分自身が藤木の蕾を刺し貫いていく感触が脳髄を叩く。いけない、嫌だと思っていても、身体は快楽を覚えて抗う術を忘れた。
「っあ……! う、……もう、やめてくれ……! こんなことは……!」
「先生、でも悦んでいるじゃないですか……。もうこんなに大きくなって……ぴくぴくしてて、可愛いですよ……?」
「くっ……」
「あ……また大きくなった……。先生、ひょっとして言葉でこうやって言われるの、感じるんですか……?」
 辱められて、神山は顔を伏せた。
 無理やり繋がされる不本意さに、小さな憤りが宿る。藤木は──もう、自分の思い描いていたような人間ではなかったのだ。ただ自分の欲求のまま、欲望のまま、他人を踏みつけにしても何も感じない。
 だが──
 やはり、突き放せなかった。味あわされた快楽が惜しいのではなく、こういう方法でしか欲望を満たせない藤木の不器用さが悲しかった。
「もう、……もうやめるんだ……、こんなこと……!」
「あは……先生、正義漢ぶってもだめですよ。……ほら、こんなに感じてる。僕の中でこんなに大きくなってぴくぴくしてるのに」
「っうあ……!」
 藤木が腰を揺らした。食いつかれる痛みと締め付けに、神山は必死に頭を振って耐える。
「や、やめろっ……く……!」
「我慢しなくてもいいじゃないですか……ほら、いいでしょう……?」
 ぐちゅっ……ぐちゅ……
 濡れた音をわざと立てながら、腰を動かす。藤木の中に擦られて、神山は耐え切れず声をあげた。
「っうあ! う、動くな! よせ! やめろっ!」
「我慢したって無駄ですよ。……ほら……! っあ、僕の……、中、気持ちいいでしょう……? あ、あんな……あんな男より……」
「っぐ……!」
「あ、あんっ……ああっ、せ、せんせ……? 先生の、おっきくて、僕、いつもより感じちゃう……んです……、あっ! すごっ、大きくて、先生の……」
 藤木の腰が次第に激しく動き始める。皮が擦れて、卑猥な音を生む。ぐちゅぐちゅとかきまわすような、淫らな音。
「ふ、藤木……!」
「あっ、ああ! せ、せんせい……!」
 びくんっと目の前で藤木のものが震えた。抗いを破るようにして、白いものがはじける。
「っくう……!」
 神山は顔をしかめ──高まる熱を押さえ込もうとしたが、やはりできなかった。どくんっと自身が藤木の中で震え、白いものを吐き出すのを、神山は後悔の中感じた。


 ※ ※ ※


「先生、今回も良かったですよ」
 服装を直しながら、藤木が笑った。
 神山は床に座り込んだまま、立ち上がる気力もなかった。体力的に辛かったわけではなかった。精神的に打ちのめされていた。
 一度ならず、二度までも──自分は。
 自分が情けなくて、嫌で、神山は歯噛みした。
「先生? そうショックを受けないでください。すぐによくなります。僕なしではいられないぐらい」
 取り巻きの二人を脇において、藤木は全く悪びれもせずそう言った。
 神山はゆるく頭を振って、床に拳をたたきつけた。
「それでいいのか……! それでおまえは満足なのか、藤木……! 立ち止まれよ! 良く考えろ! こんなことをするのが、おまえの望むことか!?」
「……」
 神山は藤木を見上げた。藤木は冷たい顔をして神山を見下ろしていた。
 ああ──こちらの言うことは、全く響いていない……。
 神山は絶望した。
「……おまえは、そんな人間だったのか」
「先生。先生は何か勘違いしています。僕は、先生だからこういうことをするんです。好きだからなんです」
「……好き?」
 神山はよろめきながら立ち上がった。熱を放ったあとの気だるさが辛い。しかし、ここで負けてはいられなかった。
 藤木の胸に拳を突き入れ、刻み付けるように言い聞かせる。……響いていないことは、分かっていたが。
「おまえの好きは、好きじゃない。好きというのは、もっと違うものだ」
「……けれど先生はもう僕から逃げることは出来ないんですよ」
 ……だめだ。
 全く──こちらの言うことを理解してくれない。藤木は理解できないのだ。この二回でよく分かった。押し付けることしか教えられていないのだ……。
 神山は腕を下ろして、準備津の扉に向かった。鍵のかかっていたドアノブは、回すとすんなり開いた。用件が終わったのだから、もう閉じ込める必要はないということか。
「先生」
 藤木の声。
 神山は息を止めて、振り返った。
「もう先生に構うことはやめなさい」
「……先生、言ったじゃないですか。もしそんな……僕の父さんに言ったら」
 神山は白衣のポケットに手を入れて、きびすを返した。
 拒絶に、初めて藤木が取り乱した。
「せ、先生。どうして、……分かってるでしょう!? 先生、この学校辞めたいんですか!」
「……」
「先生!」
 神山は肩越しに振り向いた。
 藤木の顔は、ひどく歪んでいた。
「……もう忘れなさい」
 神山はそれだけ言うと、準備室を出た。







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