「おまえは俺が優しいと言う。だがな。……優しくしてやりたいと思うのと同じぐらいに…俺はひどくしたいとも思う。……そうすれば、おまえは俺を憎むだろう?」
 荒々しい手つきで、真沢の服を乱す。脱がせるのももどかしく、白衣もそのままに、前開きのシャツのボタンを外す。現れた白い肌に、神山はためらわず口付けた。
「っ……、せ、先生……!」
 嫌がる四肢……神山は無理やりそれを押さえつけて、肋骨の上に点々とキスを施した。
「おまえが俺を憎めば憎むほど、おまえは俺のことばかり考える。……俺のことしか、考えなくなる。だから、ここでこうやって」
「せ、先生っ、やめっ……!」
 ズボンのボタンを外し、ファスナーを下げると、真沢はハッと身体を起こした。性急な神山の求めを押しとどめようと、神山の頭を押さえ退けようとする。
 だが神山はその手を打ち払い、下着ごとズボンを下へずり降ろした。現れた真沢の高ぶり──早くも硬く反応を見せていた。先を濡らしたそれを、引きずり出してやると、真沢が激しく拒絶した。
「い、嫌、先生、やめてください……! こんな、……こんなところで……! 誰かに見られたら……、先生が……っ」
「俺に抱かれるのが、嫌か……?」
 低い声で詰問するように尋ねれば、真沢は息を飲んで黙ってしまった。頬を赤く染めて、潤んだ瞳で神山をにらむ。どうしてそんな──つらいことを言うのか、という顔だった。
 神山は、唇で真沢の身体をなぞりながら──そっと臍の下に舌を這わせた。ぞくりと真沢の肌が鳥肌だった。
「く……っ」
「俺はおまえを抱きたい……犯して、傷つけて、……おまえの中にいるらしい優しい俺を壊して……」
 そうすれば、きっと真沢は自分の言葉を信じてくれる。
 優しくなければ、きっと信じてくれる。
 優しいが故に、真沢に接するわけではないと──
 優しくなければ、この行き場のない怒りはきっと昇華される。
 けれども、……優しくせざるをえない、この自分の気持ちは何だ。
「真沢……、好きなんだ、……真沢」
 真沢の高ぶりに音を立てて口付け、その向こう奥まった蕾に舌を忍ばせる。淫猥な無体に、真沢の腰が跳ね上がる。
「せ、先生っ……!」
 太ももの内側、柔らかい部分を押さえ、真沢のものを舌で慰める。高ぶったそれは、硬くなって震えている。わざと音を立てて愛撫すると、真沢が息を詰めた。
 むせかえるほどの真沢の匂いがした。前後不覚に陥る──どうすればいいのか分からないこの焦燥感は、ひょっとしたら、月並みな愛しいという言葉に当てはまるのではないかと神山は気がついた。
 どこが愛しいのかと聞かれたら、困ってしまう。
 何か契機があったわけでもない。劇的な出逢いをしたわけでもないし──ラブドラマのような涙を誘う展開があったわけでもない。何もない。本当に、何もない……
 頼りないふうに目を伏せる姿が、はにかむように笑うレンズ越しの目が、物憂げに沈む横顔が、神山の心を捉えて離さない。守らなければ、そう切実に思う。ただ切実に思う。それが愛しいという感情なのかは、神山には分からない。ただ、この感情を言葉という器に盛ろうとしたら、愛しいというガラスの器でしか盛ることができない。おそらく。
 神山は高ぶって硬い真沢のものを、ためらいなく口に含んだ。
「あっ……! せ、先生、そんな、そんなことをしてはいけません……! せ、先生に、そんなこと……!」
 構いはしない。
 答えられないその代わりに、神山は棹先に舌先を寄せた。いじるようにこねれば、真沢は泣いた。
「っ、……お、お願いです……、そんなこと、しないで……! っあ……!」
 口腔で、真沢のものがびくびくと脈打った。やめてくれと懇願していても、身体は生理的な快楽に溺れておぼつかない。荒い呼吸の下、神山はもどかしくなって真沢のズボンと下着をすべて脱がせた。両足を無理やり大きく広げさせ、尻の下に手を差し入れて蕾に指を添える。
「い、嫌、……そ、そんなことしないでください、……こんな格好……!」
 下半身をさらけ出し、上半身は服をまとわりつかせるだけの淫らな格好だ。理性的に見える白衣も、今は淫らに汚されている。男に両足を大きく開かされ、秘部をあらわにさせられて、そればかりか勃起させられている──真沢の自尊心はこれ以上にないぐらいに、傷ついているだろう。
 だが、やはりやめられなかった。
 真沢のものを口に含んだまま、蕾に添えた指をゆっくりと差し込む。わずかに抵抗されたが、蕾は難なく神山の無骨な指先を飲み込んだ。襞に腹を擦り付けるように動かすと、真沢の手が神山の白髪混じりの髪をつかんだ。
「ぅっ……」
 濡れた音をたてて秘部を指先でほぐしていく。蕾は生理的にか、ひくひくとひくついて神山の指にまとわりついた。真沢の中は熱く、神山に否が応にも高められているのが分かった。口にくわえこんだ真沢のものも硬く張り詰め、今にも吐露してしまいそうだ。
 差し入れた指を増やして、中を探る。入り口を擦られると真沢は声のない悲鳴をあげた。ぐっとつかまれた髪が強く引っ張られる。口腔の彼のものが、大きく膨らんだ。明らかな反応に、神山は調子付いてさらに指を押し進めた。急激な侵攻に真沢が声をあげて怯えた。
「ひっ……、せ、先生っ!」
 脈打つ真沢──今にもいきそうなそれから口を離すと、真沢は絶え入るような吐息を漏らした。上気した頬は艶かしく、潤んだ瞳は匂い立つように色っぽい。その漏らされた吐息が、寸前で離されたことに対する落胆なのか、安堵なのか分からない。けれども、神山はそれがどちらであろうと、行為をやめる気はなかった。
 蕾に食わせていた三本の指を引き抜き、改めて真沢の細い身体に覆い被さる──落ちてきた影に、真沢がびくりとした。
「せ、先……」
 肩を押さえつけ彼を床に倒すと、神山はもどかしい手つきで自分のズボンをくつろげ、張りつめたものを取り出した。
「せ、先生、……」
 怯えた瞳──そんなに俺が怖いか、と神山は心の中で嘆いた。わずかに呼吸を止めて、唇を噛み締める。
 真沢を組み敷いたまま、あたりを見回す。すぐ横に神山のデスクがあった。荒々しい動作で手を伸ばし、引出しを開ける。乱暴に中を探って、フィルム包装の四角いそれを取り出す。
「せ、先生……」
 真沢が眉を寄せて、潤んだ瞳でこちらを見上げた。何か言おうとして、唇をわななかせる──けれども、言葉は吐息になってこぼれ落ちた。もどかしく苛立つ吐息を漏らして、真沢は神山の腕をつかんだ。神山の手から、それを奪い取るように払う。
「真……」
 物を言いかけた神山の荒れた唇に、真沢が唇を寄せた。首根に腕を回して、触れるだけのキスをする。
 目を見開いて、真沢を見つめる。眼鏡のフレームが触れ合って、音を立てた。
「真沢……?」
 唇が離れても、唇が熱い。二重のレンズの向こうで、真沢が長いまつげを伏せた。言葉は、追随しない。無言の裏に、伝えきれない真沢の言葉がある。
「いいのか……? いいんだな……?」
 乱れた呼吸で囁き尋ねる。真沢は頬を赤くしたまま、何も答えなかった。だが、少しだけ、神山の白衣の背中に皺が寄った。
 ──目の奥が痛い。
 神山は即急な手つきで、真沢の腰を引き寄せた。弱弱しくひくつくその真沢の蕾に、自分の猛ったものを押し当てる。緊張する真沢の身体──神山は、渇く。干からびそうな熱さに潤いを求めるように、神山は真沢の身体をかき抱いた。蕾を、熱いもので穿つ。
「くっぅ……! い、ぅっ……っ」
 ずぷ、というくぐもった音と、肉を割り裂く感触がした。
 真沢は息を乱して、神山の背中を強く抱いた。苦しそうな呼吸──神山の耳元で非難するように焼きつく。
「ま、真沢……、すまん……、だ、大丈夫か……?」
「あ……ぅ、……んぅ……、せ、せんせい……」
 真沢は小刻みにうなずいた。しかし、その仕草には全く余裕がなかった。苦しいのか、痛いのか……神山には分からない。神山はいいように、勝手に欲をたたきつけるだけで──それを耐える真沢の苦しみなど、到底分からない。この繋がったわずか痛い箇所は、真沢の痛みに比べれば爪の先ほどもないはずだ。
「せ……せんせぃ……、わ、私は……信じたい……、やっぱり、先生に優しくされたら……」
「真沢……」
 細く苦しい息の下、真沢は懺悔するように呟く。
「つ……強くなくて、すみません……、先生を疑ってしまう、……私を許してください……」
 神山はうなずいた。何度もうなずいて、真沢の髪をなでた。しがみついてくる真沢の両腕が、ひどく弱弱しくてたまらなかった。
 不安なはずだ。男同士で、確かなものが何一つない関係で、信じるべきものが見つからない関係で。
 伝えた言葉は、次の瞬間に反故にされるかもしれない。変わっていくかもしれない。確かなものなど、一つもない。想ってしまったら、もう後戻りはできない。自分を守ろうとして、常に相手が離れていくときのことを考えてしまう。最悪の場合を考えてしまう。それは相手の言葉を信じていないわけではなくて── 脆弱な護身術の一つだ。
 失恋を恐れて、恋愛に踏み切れない気持ちに似ている。
「真沢……それでも、俺はおまえが好きだ。俺は、おまえが好きなんだ……」
 真沢の身体を強く抱きしめ、繋がった箇所を更に奥へ押し進める。
「く、……ぅぁ……!」
 真沢が切なげな悲鳴をあげて、神山の白衣を強くつかんだ。
 神山を受け入れるそこがきつくまとわりついてくる。まるで侵攻を拒むように。
「う、……あ、……っ、せ、先生っ」
「真沢、おまえが好きだ……、本当だ。ずっと、誰よりもずっと」
 ゆっくり腰を動かし、引き抜く。まとわりつくそこに、再び楔を静かに打ち込むと、真沢は切れ切れに吐息を漏らした。
「う、あ……、あ、……ああ……!」
 静かに楔を打ち込み続ける。ぐちゅぐちゅという淫らな音が保健室に響き渡る。
「真沢……、綺麗だ」
 真沢の首筋に唇を寄せ、音を立ててキスする。
 神山の響くような楔の打ち込みに、呼吸を乱して受け入れる真沢が愛しい。辛いはずなのに、その身を開いてくれることが嬉しい。
 繋がった箇所がひくついて、神山を煽る。まとわりついてくる真沢の中は、熱くて今にも溶け出してしまいそうだ。
「ま、真沢……、すまん、耐えてくれ……!」
 息苦しいほどに抱きついてくる真沢の背中に手を回しながら、神山は一度自分のものを引き抜くと、今度は激しく中を貫いた。
「ひっ、……ぅ!!」
 反り返る真沢の身体を引き寄せて、神山は荒々しく己を引き抜くと再び激しく貫いた。
 ぐちゅぐちゅと真沢の中が悲鳴をあげて神山のものを締め付けてくる。一度たかが外れたら、もう後戻りはできなかった。溢れ出す激情に押し流されるまま、神山は若々しい真沢の内部をむさぼり尽くした。
「あっ、……あん……ああっ、……ひっ……!」
「真沢……、真沢……!」
 若くて締まりのいい真沢の中を蹂躙する。擦られる皮が引き攣れて、熱を帯びた。真沢は耐え切れず激しく喘ぎ、神山の白衣を引きつかんだ。漏れる言葉は甘く、快感をにじませる。激しくすればするほど、真沢は押さえきれない快楽の声をあげた。
「あ、……あ、せ、せんせ……! ああ! そ、そこは、だめ、……ああ……だめですっ……!」
「ここか……? ここがいいのか……? ここがおまえのいいところか……?」
 真沢が声をあげた箇所を棹ですりあげるようにしてやると、真沢は甘く悩ましい悲鳴をあげた。
「ひぁっ、……あ、あ、だめ、……そこはこすらないで、……先生のが硬くて、擦れるんですっ……! い、嫌、神山せんせ……! 先生の大きすぎて、こすれて……!」
「ここか……? ここなんだな……? こうしたら、どうだ……」
 やや乱雑にそこをこすると、真沢は四肢を突っ張らせた。
「ああ!! せ、先生っ! だ、だめっ……こすら、ないで……ぇ……!!」
 かすれた声で必死に訴える──嫌だ嫌だと頭を振っても、絡み付いてくる真沢の中は神山の太いものをくわえ込んで離さない。
 誘いこむように腰を揺すられて、神山は更に激しく、荒々しく嫌がるところを突き上げた。
「ひいっ……!」
「ああ、真沢……俺ので突き上げられて、気持ちいいか……? 感じるか……? なあ、……なあ、真沢……っ」
 突き上げ、荒し、刺し貫く……そのたびに濡れた音を立てて真沢の身体が跳ね上がる。
「あっ、あっ、あっ……! ああ、だめ、先生だめです、そんなに、……ひっ、そんなにされたら、……先生、い、いけません……、だめっ……!!」
「何が、だめなんだ……、何がだめなんだ、真沢……! だめじゃない。だめじゃないだろう……?」
 昨夜抱いたときも、真沢はそうやって嫌がった。羞恥のためかもしれないが、拒絶されているようで辛い。せめてこのときだけでも、すがられてみたい。
「真沢、頼む……、良かったら……いいって言ってくれ……! お願いだ……」
「ひっ! あ、ああっ! あ、…ああ……! んぅ……!」
 神山は顔を動かして、真沢の唇に唇を重ねた。触れ合う眼鏡のフレームが、音を立てる。ひどく卑猥な音だった。口腔を思う存分荒し、唇を離す。糸を引いた唾液が真沢のあごに落ちた。
 ぐいっと腰を引き寄せ、深く繋がると、真沢は眉を寄せて喘いだ。
「あっ……ぅ!」
「真沢……好きなんだ。……想ってる。おまえを想ってる……!」
 骨が当たるぐらいに激しく腰を打ちつける。真沢の細くて華奢な身体は揺さぶられ、震えた。
「あ、あっ……! ああ、先生、……先生……!」
 真沢は上気した顔をゆがめながら、神山の頭を抱え込むように腕を伸ばした。わずかに身体を起こすようにして、神山のささくれだった唇に唇を重ねる。神山の動きにすぐさま離れた真沢の唇は、神山の耳元で甘い言葉を紡いだ。
「せ、先生、……先生だけ……、先生だけです、……こんな、こんなことされても嬉しいと思うのは……、こんなふうに、……貫かれて、……こすられて、……先生にこうやってされるの、……好き、なんです……!」
「真沢……!」
 熱くて甘い言葉に踊らされる。神山は真沢の白衣を強くつかみ、眉を寄せてひときわ激しく、深く、真沢の中を貫いた。
「あっ……! ああ……っ!! せ、せんせい……!!」
「真沢っ……」
 反り返った真沢が白い激情を放った。ほぼ同時に、神山も真沢の中で劣情を吐露した。


 ※ ※ ※


「先生……」
 事を終えて、荒い息が反響する保健室の中、真沢が静かな声で神山を呼んだ。
「ん……?」
 神山は真沢の額に貼りついた前髪を払ってやりながら、聞き返した。真沢はやや眉を寄せて、レンズ越しに神山を見つめた。上気した赤い頬がひどく生々しい。
「先生……私のこと、嫌いになりましたか……?」
「う、ううん?」
 いきなり良く分からないことを言われ、神山は思わず眉を寄せて聞き返した。真沢は落ち着かないように視線を伏せて、白衣の裾をつかんで身体を隠した。
「……あんな……あんな声を、聞かせてしまって……汚らわしい言葉ばかり……」
 神山はぽかんとした。真沢の言っていることがすぐに理解できなかった。脳内でしばらく咀嚼して──やっとその言葉の言わんとするところを理解する。
「あんな声って……あんな声」
 耳に真沢の声が蘇った。熱く甘い声で呼ばれて、瞬時にして神山の顔が真っ赤に変わる。慌ててうつむき、耳を塞ぐ。しかし聞こえてくるのは脳内からなので、全く無意味な行為だったが。
「〜〜〜っ」
 やるだけやった後に赤くなるのは考えてみれば変な話だが、それはそれ、車に酔う人間が運転をしていると酔わないというのと同じだ。その──なんというか、行為……が終わって改めて最中のことを言われると、自分がいかに恥ずかしいことをしていたのかまざまざと思い知らされるようでいただけない。
 真沢は神山の奇妙な行動に不思議そうな顔をしていた。眼鏡のフレームを押し上げて、小首を傾げて神山を見つめる。
「……先生、……どうなさった……のですか」
「な、何でもない……」
 胸の動悸が激しい。神山は胸元を手で押さえ、ぎこちなく眼鏡の位置を直した。
 確かにあの声……というか真沢との……を思い出すとこんなふうになってしまっていただけないが、嫌いになるはずなどがない。大体、真沢にあんな声を出させたのは自分で、真沢を……その、抱いたのも自分だ。しかも、至る経過も自分が……
 頭の中が何がなにやら分からなくなってきた。
 神山はからからに乾いていく口の中に焦って、無理やりに口を開いた。とにかく、真沢の思っていることは間違いだと言わなければいけないという使命感だけがあった。
「そ、そういうのは、好きだからいい……!」
「……先」
 何か反駁しようとする真沢を、神山は半ば無理やりに言葉でねじ伏せた。
「も、もう言うな、聞くな、触れるなっ、……そ、そういうのでいいんだっ」
「……」
 言葉が返ってこない。神山はちらりと真沢を見やった。真沢はこめかみに指を当てて、視線を下へ向けている。
「…………」
「…………」
 居心地の悪い沈黙が流れた。
 神山はますます困って、せわしなく膝を揺すった。心の中はもう自分の情けなさに泣きたい気持ちで一杯だった。どうして、あの時……その、あ、愛し合うときのように構えられないのか。同じ自分とはいえ、あのときの自分がうらやましい。
 やがて真沢が、小さなため息を一つついた。
「病院……大丈夫なんですか」
 病院。
 話題が変わったことに、神山はほっと安堵した。そう、病院……
 ……病院?
 神山はハッとした。
 そういえば、考えなしに病院を抜け出してきてしまったような気がする。
「怪我のことは、弓岡先生から聞いています。……大したことはないという話でしたけど……」
「……う、そ、それはまあ、大したことはなかったんだが」
 病院を抜け出して、真沢とこうやって会えたのはいい。……会えたのはいいが、……どうやって病室に帰るのか。今さら、見つからないようにこっそり、という度胸は今の神山にはない。
 知らなかったが、一つのことに頭が一杯になると考えもつかないことをやらかしてしまう性格だったらしい。
 自分のやらかしたことに固まっている神山を、真沢は案じるように見つめた。
「先生……」
「だ、大丈夫だ。心配するな。おまえは全然……」
 神山は深いため息をついた。いくら真沢にお熱だとしても、もっと周りを見て行動してくれ──と神山は過去の自分に文句を言った。情熱的といえば聞こえはいいが、要するに猪突猛進なだけだ。
「先生……うぬぼれならいいのですが、あのとき先生は私に会いにきたと……」
 途切れた言葉の先に、「そんなことなら会いに来なかったら良かったのに」という意味がこもっていた。案じるように眉を寄せられて見つめられ、神山は慌てて頭を振った。
「ち、違う、俺はおまえに本当に、あ……」
 言いかけた言葉の意味に気がついて、神山は赤面した。会いたくて、なんて恥ずかしい言葉、もう二度と言えない。
 だがしかし。
 真沢の心配そうな顔を見ていると、言わないでいるのは罪深いような気がした。このまま黙っていると、真沢は間違った勘違いをしそうだ。
 困った。
 神山は赤くなった頬を両手で軽く叩いて、深呼吸した。やはり言うべきことは言うべきだし、伝えるべきことは伝えるべきだ。長く息を吐き出して、神山は真沢を真っ直ぐ見つめる。
「そ、その、ま、ま……真沢」
「……は、はい」
 いつか見たような、きょとんとしたような真沢の顔。……そういえば、この表情、告白したときも見たような気がする。
 神山は息を吸い込みながら、口を開いた。言葉を発しようとして、うまくいかずまた息を吐き出す。緊張して、真沢の顔を見ていられない。必死に虚勢を張ってはみたが、結局負けて、神山は視線をそらした。
「そ、その……、す」
「……す?」
「……」
 神山は顔を赤くして、頑なに床を見つめた。拳を強く握り締めて、肩を怒らせる。難産の苦しみだ。
「その……お、おまえのことが好きだから、……い、いいんだ。おまえは、心配するな」
「──」
 言ってしまった。
 しかし、真沢からは何も返って来ない。居心地が悪くなって、神山はちらっと真沢を見た。
 真沢はこめかみに指を当てて、何かを考えこむように視線を他所へ向けていた。ふと、神山の視線に気がついて真沢は小首を傾げる。
 神山はびくっと身体を硬直させて、思わず頭を下げた。
「す、すまん」
「どうして謝るんですか」
 真沢の理知的な声。しかし、何か思うことがあるのか、視線をまたそらす。何かを考えているようだが、何を考えているのかは勿論、神山には分からない。
「先生……」
 真沢は静かな口調で神山に呼びかけた。視線は、相変わらずどこか他所へ向けたままだ。
「あまりそうやって、私を喜ばせないでください……」
「え、あ……」
 神山は目を見開き、真沢の横顔を見つめた。こめかみに指をあてて視線を伏せるその仕草は、もう随分と見慣れたが──
 神山はやっと、その仕草の意味するところを理解した。赤いままの頬で、神山はぎこちなく笑う。眼鏡の位置を直してうつむくと、神山はまた謝ってしまった。
「あ、ああ……その、……すまん」
「──私は、つけあがりますから」
 そらした視線、こめかみにあてた指。考えごとをしているように見えるが──実際は照れているのだと神山は気がついた。







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