愛され執事とノロケ話




 ※ ※ ※

 ある日の夕食後、シメオン家の忠実なる執事長、ベラム=ノードウィッチは、主人の弟にあたるウェザイル=シメオンの自室を訪れていた。
 白髪にきちんと整えた髭、薄いレンズの眼鏡。白い手袋に、少しも乱すことなくきっちりと着込んだ服。上着の内ポケットから、ベストのボタンに懐中時計のチェーンが伸びている。少しいびつな蝶の形のチャームがついた、趣味のよさが窺えるシルバーの鎖だ。年のころは五十過ぎ、歳相応に落ち着いた雰囲気がある。

「……はい、これで結構です」

 ベラムはそう言って、巻尺をしまった。
 ウェザイルは、広げていた腕を下ろし、ベラムに向き直る。

「今度はあまり派手じゃないのがいいな……。ミラルが仕立てると、すごくこう……ひらひらでキラッキラになるから……」
「ウェザイル様は華やかなお姿をしていらっしゃいますから、華々しいご衣裳もお似合いですが」
「いや、悪夢だよ……」

 そう言ってウェザイルは半笑いになった。
 そんな彼はすらりとした長身に、整った顔立ちをしていた。ややきつい目つきをしているが、その親しみやすい表情がそれを和らげている。
 彼が長身なのに比べて、ベラムはその頭二つ分も低い。もとよりあまり背が高くないのだが、背の高いウェザイルと並ぶと、その対比が顕著だ。

「かしこまりました。ウェザイル様はレースをお望みでないとミラルに伝えておきましょう」

 ベラムはそう言いながら、手帳に先ほどの巻尺で採った数値を書き入れた。
 ベラムがウェザイルの自室を訪れたのは、採寸のためである。古くなったコートを近々新調するためだ。用もなく訪れたわけではない。
 ただ、採寸自体は、ベラムの直接的な仕事ではなかった。どちらかというと、これは被服を担当する使用人──たとえば先ほど名前が出たミラルの仕事だ。
 その仕事を、執事長の肩書きを持ったベラムが引き受けているのにはわけがある。他の使用人がこの仕事を嫌ったわけではなく──
 ベラムは手帳をしまって、ウェザイルを見上げた。

「それでは、採寸した旨をミラルに伝えて参りますので」
「えっ」

 ウェザイルが驚いて声を上げる。
 ベラムは、眼鏡のフレームを指で触って位置を正した。

「早いほうがミラルも助かりましょう」
「い、いやいやいやいやいや」

 ウェザイルがベラムの腕をつかんだ。

「もう帰るの? 本当に採寸しにきただけじゃん。おかしくない? おかしい。絶対おかしい」
「そ、そうは言われましても……」

 ベラムは言葉と表情に困って、あいまいに目をそらした。
 確かに、採寸の仕事を引き受け、ウェザイルの部屋にきたのは、仕事をこなすためだけではなく──
 腕をつかむウェザイルの手に力が入った。引き寄せられると感じた瞬間、ベラムは反射的に手袋を嵌めた手をウェザイルの胸について、それを遮った。

「い、いけません、こういうことは」

 ウェザイルの手から一瞬、力が抜ける。ハッと彼を見上げれば、彼の顔が少しこわばっていた。目が合うと同時に、彼はこわばった顔を気安そうな笑顔に変えた。

「冗談だよ」
「ウェザイル様……、」

 何かを言おうとしたが、何を言えばいいのか分からない。ためらっているうちに、ウェザイルの手が離れた。
 ウェザイルの表情は、気安い笑顔から変わらない。

「ベラムは忙しいから仕方ない。早くミラルのところに行くといいよ。ていうか、レースだけじゃなくて、刺繍もほどほどにって伝えといてくれない? 特に、花柄の刺繍とかやめて。あれかなり恥ずかしい」
「ウェザイル様、わたくしは」
「いや本当。うん。……ええと。……その、気にしないでいいから」

 はは、とウェザイルが笑う。

 ──この人のこの笑い方は、よくない笑い方だ。

 ベラムは、ウェザイルの腕に手を伸ばそうとして、やはりためらった。一介の使用人が、主筋にみだりに触れていいはずがない。許されない。












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