愛され執事とノロケ話



 ただ、でも。
 ベラムは指を強く握った。
 採寸の仕事を引き受けたのは、……彼に会うためだ。わざわざ願い出て、この仕事を譲ってもらった。それもすべて、彼の顔を見たかったからだ。
 使用人として、主筋の部屋に用もなく訪れることは、控えるべき行為だとベラムは思っていた。ウェザイルとの関係が特別なものになってもなお、ベラムはその線を忠実に守っている。
 特別なもの──そう、使用人の立場でありながら、ベラムは主人の弟であるウェザイルと特別な関係になってしまった。強要されたわけではない。流されてしまったわけでもない。ベラムが望んで、ウェザイルとの関係を結んだ。
 そのことに関しては、ひとつも後悔していない。ただ──かといって、ウェザイルの温情に甘え、使用人としての分をわきまえない行為をすることはどうしてもできなかった。ベラムが使用人から逸脱することは、ウェザイルもたぶん、望んでいないのではないかと思う。

「ウェザイル様……」
「……困らせてごめん。……ベラム、べたべたするの好きじゃないしね。知ってた」
「そんなことは……」

 ごめんごめん、と笑うウェザイルを見ていられない。だが、そもそも、こんな笑い方をさせたのは、自分だ。無理無体を通すような彼でないことはわかっているのに、ここというときに拒絶した。
 彼は、常に周囲に気を使う。
 それは、友人や家族だけではなく、使用人に対してもだ。もっと上から、強引に押し通してもいいものを、彼は生来の優しさで自分をあっさりと曲げてしまう。
 いけない流れだ、とベラムは感じた。
 彼が何事もなかったかのように自分を折り曲げるのを、見たくない──
 ベラムは、失礼しますと一言だけ小さく断りを入れてから、手袋をした手でおずおずとウェザイルの腕に触れた。

「ベラム……?」

 ウェザイルが声を潜めて、問う。
 ベラムは視線をそらして、眉を寄せた。

「あまり──夜も更けぬうちから、わたくしのようなものに戯れかけられますと、よくない評判が立ちますので。ウェザイル様の評判を落とすようなことは、したくありません。それがわたくしごときのせいならば、なおさらでございます」
「…………」

 小さなため息が聞こえた。
 腕に触れていた手を、ウェザイルが握った。

「……うん、……そうだね」

 ウェザイルがベラムの手袋を嵌めた指に唇を寄せる。それから、手の甲へキスを贈る。
 ベラムは見ていられなくなって、憂鬱な顔をして目を伏せた。
 一介の使用人ごときに、この方がここまでしていいものか──
 だが、振り払えないのは、自分の中に喜びがあるからだ。これが一番、許されないもののように思える。自分のような老僕が、主人のうら若い弟を誑かして許されるものか。
 罪深いのに、振り払えない。これでは、きっと、神も許してはくれない。

「でも、おれがベラムなしだと本当にだめ男になるのは、屋敷のみんなが知ってるよ。ベラムが守りたい線は、おれも良く知ってる。だから、それは無理には侵さない。でもそれだと……、おれがすごく寂しいんだ。どうしたらいいと思う……?」
「ウェザイル様……」
「そこで考えたんだけど──」

 指の一本一本、その形を確かめるようにウェザイルが握った手に改めて触れる。手袋の上から、爪の形を確かめるようにされて、ベラムは反射的に息を呑んだ。年甲斐もなくうつむいてしまう。……この歳になって、これでは情けない。分かっているのに、ウェザイルが美しい女性を口説くように、自分を扱うから。

 ──何もかもが妙な方向へ向かってしまう。

「解決案として──そうだね、ベラムからおれをベッドに誘ってくれればいいんじゃないかな?」
「ウェザイル様」

 ベラムは顔を上げた。ウェザイルの目が笑っている。冗談だとすっかりその表情が語っていた。












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